
写真とは全く関係ないですが、「ツイッター疲れ」でやめたい人々というのがいるらしいと、何日か前の記事で読みました。
いやまあ、僕は、twitterは気楽にやればいいんじゃん?って思うのですが、こういう反応って、twitterでもやっぱりあるんだなあ、と思ったわけです。
「オレのつぶやきに誰も反応してくれない」 「ツイッター疲れ」でやめたい人々
僕が初めてインターネットを使ったのが、1996年。
まだインターネットは黎明期で、パソコン通信の方が主流でした。
僕も両方を併用してました。
草の根ネットでクローズドなコミュニティがいくつも形成されていて、まあ僕がそこに深入りする前にインターネットへの移行がスゴイ勢いで進んでいったわけですが、あの頃からこの問題は変わらずずっと存在している気がします。
手段はホームページからブログに代わり、SNSが生まれて、twitterが生まれ…しかし、人が人とのつながりを求め、コミュニティを形成するというシステムはなんら変わってません。
手法がリンクからコメントやトラックバックに代わり、フォローになっただけです。
僕自身、twitterでのコミュニケーションを楽しんでいますし、SNSでの出会いなんかもすごくいいなあ、と思うし、そういう手段で人とのつながりが増えていくのはネットというものの強みだと思うのです。
そういうの、有効活用しないともったいないじゃん、と僕なんかは思うのです。
しかし今、facebookやmixiのようなSNSに依存する人たちってのは必ずいて、国内、海外問わず問題になるケースもあったりします。
ネットでのコミュニケーションが犯罪にまでエスカレートする危険性を含むというのが、現状を見る限り事実なんでしょう。
そういう事件を目にする度に思うこと。
「今という時代、みんなそんなにコミュニケーションに飢えてるんだろうか?」
もうちょっと言い方を変えると、
通信技術が発展した現代。
地球の反対側とリアルタイムにコミュニケーションが取れ、ネットを通じて一個人が万単位の人間と知りあえる現代。
「人間関係は豊かになったんだろうか、それとも貧しくなったんだろうか?」
ここ数年、子供が親を殺すという事件が当たり前のように起こるようになってきました。
そして今年になって、ネグレクトや児童虐待が毎日のように新聞をにぎわしています。
統計をとったわけではないので、実態はよく分からないですが、僕の印象では
猟奇殺人の90年代 → 親殺しの2000年代 → 子殺しの2010年
という印象です。
実態ではなく、あくまでも報道に上がってきている事件をざっと眺めての印象に過ぎませんが。
今、いくらでも人と知り合えるのに、交流を深める手段はいっぱいあって、いくらでもコミュニケーションをとることができるのに、なんでこんなことが起こるんだろう?
人間関係が豊かなら、なぜ簡単に人を傷つけられるんだろう?
この疑問が、ここ数年、僕の中から消えません。
ネットでのコミュニケーションは、リアルのコミュニケーションとは違う。
そういってしまえば簡単でしょう。
しかし、ネットでのコミュニケーションはこれから、これまで以上の勢いで増えていくはずです。
もはや現代人が切り離すことの出来ないシステムです。
これが人と人とのつながりをより深めるものでなければ、なんというかつまり、ジリ貧としか言い様がないわけです。
これまたネットの記事ですが、今、1週間分の新聞に掲載される情報量は、昔の人の一生分の情報量より多いとか。
同様に、きっと今の人がネットを通じて知りあう人間の数は、昔の人の一生分より多いのでしょう。
「たとえ人がこの世の果てまでたどり着き、この世を支配したとしても、人と人とが見つめあい、抱きあえる距離は変わりはしないだろう」
以前、僕はそんなセリフを書きました。
あの時、僕はリアルな人間関係に勝るものはないと思っていました。
でもそれだけじゃすまないなあ、と思う今、書くべきセリフがまだ見つかりません。
「オレのつぶやきに誰も反応してくれない」
冒頭の記事にあったこの言葉は、今の時代を象徴している気がしてなりません。
孤独の時代。
それを乗り越えることのできる強い「想い」を探したいとずっと思っています。