荒馬の台詞を乗りこなす、劇構造

 僕が脚本・演出を担当している舞台「広島に原爆を落とす日」の公演が、いよいよ11/21から始まります!

 今回は、つかさんの小説から新たに脚本を書き起こし、舞台化します。しかもシアターXという、つかさんと縁の深い劇場で、この新作を上演させてもらえる…感慨深いことこの上ありません。ということで、せっかくなので(普段はあまりこういうことはしないのですが…)舞台化にあたっての思いをつらつらと書いてみました。

 今回の原作である小説版「広島に原爆を落とす日」は、本当にとんでもない小説です。一応、舞台となるのは1941年ごろから1945年8月ということになりますが、史実なんかはそっちのけ。日本・ドイツ・アメリカを舞台に一癖も二癖もある人物たちが現れては、様々なドラマをくり広げ、突拍子もない事態が次々に起こっていく…しかし、面白い。上下巻の長い小説ですが、手を止めることなく最後までグイグイと読ませてくれる、その力強さがこの小説にはあります。
 
 しかし、その情報を全て2時間の舞台に詰め込むことはできません。今回、舞台化するにあたっては、〝恨一郎と百合子の愛〟と〝原爆投下への道筋〟に焦点を当て、シーンをピックアップしました。そして台詞は基本的につかさんが書いたものを使用しながら、全体の構成はかなり自分流にしています。

 僕はこれまで、つかさんの小説やテレビドラマを何作も舞台化してきました。その度に悩み、敗北感に打ちのめされるのは、つかさんの芝居の、あの独特な劇構造を、僕には絶対に作れないということです。不条理であるが故に力強いあの劇構造があればこそ、つかさんのパワフルな台詞は力を持ちます。しかし、僕はもっと理性的にしか作れない。僕の脆弱な劇構造の中では、つかさんの台詞は制御を失い、暴れ馬のようになって全てをぶち壊してしまいます。だからこそこれまでは、戯曲はいっさい脚色なし。新たに舞台化する際も、最大限ドラマのシーンをそのまま使ったり、舞台版のシーンをそのまま使いました。そうやって自分のオリジナルを最小限に抑えることでしか、立ち向かうことができなかったからです。

 でも今回、僕は初めて、自分の構造の中につかさんの台詞を詰め込みました。それはこの作品を、過去の物語ではなく、今を生きる僕たちの物語にしたかったからです。これだけメッセージ性の強い作品を、「つかさんはこう言ってた」などと他責で描くことはできない。そこに自分の解釈を込めなければ、上演してはいけない。そう思ったからです。

 企画が動き出してから一年、執筆中も稽古中も「これでいいのか…?」と悩み続ける毎日でした。しかし、キャストの皆さんの演じる姿を見て、しゃべる言葉を聞いている内に、ひとつひとつの言葉に息吹が吹き込まれ、力を感じることができるようになりました。つかさんを知らない世代の若いキャストだからこそ、40年前に書かれたつかさんの言葉に現代の感覚が吹き込まれ、つか芝居でも渡辺芝居でもない、新たな作品になってきたように思います。

 改めて、演劇は面白い。生身の人間がその肉体で表現をするからこそ、言葉の力と身体の力が組み合わさって新しいものが生まれてくる。千穐楽の幕が降りるまでの間に、どれだけの変化が生まれるのか。それを楽しみに、最後までもがき続けてみようと思います。

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