原作ものを創る難しさ

僕が脚本・演出する舞台「つか版・忠臣蔵」が稽古中です!

ご存知の方はご存知だと思うのですが、実は僕、つか劇団時代からつかさんの作品の舞台化をしてきました。小説だったり、テレビドラマだったり、映画だったり…原作はいろいろです。

 今回の原作は、テレビドラマと小説。…これがなかなか大変です。というのも、作り方が全く違うからです。テレビドラマの方は、いかにもつか芝居!…といった作り方。論理よりも感情! 横につかさんがいて、台詞をつけてたんだろうなあ…という感じがします。その一方で小説の方は、つかさんらしい無茶苦茶さがありながらも、ちゃんと筋が通っています。舞台化するにあたって、そのどちらを選択するか…これは難しい問題です。

 つか芝居らしさを考えるなら、テレビドラマの方が〝いかにも〟です。しかし、それでは話が分からなくなるところがあります。かといって、筋道を立て過ぎると、つか芝居らしい勢いがなくなります。

 初演の時は、基本的にテレビドラマ版を使いました。まずは、つかさんのセリフに身を委ねて作ろう!…と思ったからです。それはそれで非常に面白く、理屈ではない熱情に圧倒されるような芝居になったと思っています。

 しかし今回は、多くのシーンを小説版の描写に変更しました。初演とは違ったアプローチをしたかったのもありますが、今回は主演に大衆演劇の役者さんを招いたこともあり、いわゆるつか芝居ファンだけが観るわけではありません。そのため、丁寧な作り方をした方が良いと思ったからです。

 ただ、そうなると難しいのは、いかに理性的にならずに作れるか、ということです。人間は理性的な生き物です。感情の迸るままに作られ〝つか芝居的〟セリフは、放っておいても役者の熱情を生みます。しかし、筋道の通ったセリフになると、役者もその流れを追いますし、すると〝訳のわからないテンション〟にはならないものです。観ている観客も理性的に流れを追いやすく、つか芝居らしい〝熱に浮かされたような〟状態にはなりにくくなります。しかしそれでは、つか作品の魅力は半減してしまいます。

 理性と熱情。この相反するものを、戯曲と演技の中でいかにバランスを取っていくか…非常に悩ましく、稽古でも苦労しています。

 でもこれが、つか芝居がつかさんにしか書けない理由、なんですよね。つか作品に手を入れようとするならば、つかさんのセリフと同等のエネルギー量を持つ台詞を書かなくてはなりません。それは、どんな名作家にも不可能です。作家の持つエネルギーの方向性が違うからです。
 だから9PROJECTでは、戯曲のある作品については一切セリフに手を入れずに上演してきました。しかし、今回は戯曲がない作品の舞台化です。まったく厄介なことをやっているなあ…と自分で自分に呆れるばかりです。

 さて、この挑戦が吉と出るか凶と出るか…ぜひ劇場で確かめてください!

9PROJECT「つか版・忠臣蔵」

[原作] つかこうへい  [脚本・演出] 渡辺和徳
[出演] 三咲暁人(劇団暁)・高野愛・武智健二・小川智之・仲道和樹・新澤明日・花渕まさひろ・相良長仁・宮迫誠

[日程]2023年11月9日[木]
[会場]篠原演芸場

[日程]2023年11月15日[水]〜19日[日]
[会場]上野ストアハウス

[劇場観劇]平日割 3,500円 / 土日一般 3,800円 / 学生 2,500円
[LIVE配信]2,800円