まずはじめに、物語とは何か?ということを考えてみましょう。
そんなことは分かっている、と思われるかもしれませんが、実はこれが演出をやる人間が、最初にきちんと理解すべきポイントです。なぜなら、経験の浅い人ほど戯曲を単なるセリフの羅列、心情の連鎖、キャラクター同士のコミュニケーションに過ぎないと考えてしまいがちだからです。
それは戯曲(=物語)のほんの上っ面に過ぎません。なぜなら物語には、必ず寓意(=隠された意味)があるからです。このことについては「脚本理解」の項で詳しく解説したいと思いますが、まずはここで概要を理解してもらいたいと思います。
古代ギリシアから変わらない本質
物語というものについて、偉人の言葉を引用してみましょう。古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、詩学(岩波書店/翻訳 松本 仁助・岡 道男)の中で悲劇(トラゴーディア)についてこう述べています。
悲劇とは、一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為の再現(ミーメーシス)であり、快い効果をあたえる言葉を使用し、しかも作品の部分部分によってそれぞれの媒体を別々に用い、叙述によってではなく、行為する人物たちによっておこなわれ、あわれみとおそれを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するものである。
アリストテレス「詩学」
「詩学」
この言葉を引用しながら、物語というものについて考えてみたいと思います。
勘違いしないでいただきたいのは、これはアリストテレスの「詩学」の解釈ではありません。それはきちんとした研究者の論を読み解くことをお勧めします。アリストテレスの言葉を借りながら、僕なりの演出のやり方のヒントをお伝えしたいと思います。
“一定の大きさをそなえ”
アリストテレスは、「美は大きさと秩序にある」と言っています。
つまり、いくつかの”部分”からなるすべてのものは、秩序正しく(=美しく)並んでいなくてはならず、かつ、その全体を容易に見渡して、一つのものとして認識できる(=味わえる)大きさでなくてはならないというのです。
これを演劇に当てはめるなら、その長さ(上演時間というより、全体像と言った方がいいでしょう)は、短すぎてはあっという間すぎて何が何だか分からない。大きすぎては全体をつかみきれずに理解できなくなる。その間の適度な大きさでなくてはならない、ということです。
ですが僕はここで、大きさという言葉にもう一つ別の意味を付け加えたいと思います。
それは物語の持つ“奥行き”のようなものです。物語が内包する大きさ、と言ってもいいかもしれません。残念ながら、僕は”ある大きさ”という以上に、この概念をうまく言い表す言葉を思いつかないのですが、この大きさを感じる要因の一つこそ寓意であると考えています。
なぜ寓意が必要になるのでしょうか? それは、寓意のない物語は単なる“事実の羅列”になるからです。
ある物語で、ある一人の男の生き様が描かれ、俳優たちとともに観客が泣き、笑い、楽しんだとしても、ただその事実を傍観したにすぎないのと、その裏にある意味——例えばその男の生きた世界こそ現代の縮図であり、その生き様はそのまま自分が追体験する可能性がある。この物語ではその警鐘を鳴らしているのだということ——を、はっきり理解しなくとも無意識の中に感じながら見ているのとでは、物語の奥行きが違います。
事実は事実としてきちんと描かれようとも、その事実の裏から匂い立つ“何か”があるからこそ、物語は奥行きを持つのです。
しかしこれについては、また項を改めることにしましょう。
“完結した”
物語は必ず完結していなくてはなりません。
ただ、完結という言葉の意味を取り違えないでください。ここでいう完結とは、観客が「見終わった」という満足を得ること。その際に必要なことが、「全体が統一感を持って、一つの物語としてパッケージ化されていること」です。
ここに、いろんなお菓子の入った袋があるとしましょう。
袋の中には、チョコレートもあればクッキーもありません。それぞれいろんな味がありますし、大きさも色もバラバラです。それが透明なビニール袋にバサッと詰め込まれていたら、ただ“お菓子がいっぱいあるだけ”です。
しかしこれを、種類別、色別に分け、きちんと整理整頓して箱に詰めたらどうでしょう? これは立派な“お菓子の詰め合わせ”です。
さらに個々のお菓子を統一感のあるデザインで個別包装し、箱も同様のデザインでまとめます。それに専用の商品名をつけて、店員にも「これはこれこれこういう商品なんですよ」と、ある特別な価値のある商品として販売したとしましょう。そうすればこれは、“一つの商品”です。お客さんは、ある価値を持った”一つの商品”を購入(=体験)することができます。
これが、完結するということです。
いろんなお菓子が入っていることにかわりはありません。ただそれを、一つのものとしてパッケージできているかどうかが重要なのです。
“高貴な行為の再現”
“叙述によってではなく、行為する人物たちによっておこなわれ”
物語は、書かれている文章で伝えられるのではありません。
そこで描かれている人間の行為によって伝えられるのです。
劇作における”行為”と、演出における”行為”は、若干フォーカスするポイントが違いますが、演出者もこれを忘れてはいけません。なぜならここを誤ると、「セリフをきちんと聞かせれば、お客さんは物語を理解してくれる」と勘違いしてしまうからです。
断言しますが、そんなことはありません。
普通のお客さんは、お芝居を楽しみに劇場にきているのです。セリフを「一字一句聞き逃さないように集中して聞き耳を立て、きちんと文章を理解しながら見る」なんて、とても疲れる見方だと思いませんか?だから僕は、観客はセリフの7割は聞いていない前提で芝居を作ります。
考えてみてください。日常生活でも、相手の言った言葉を一字一句きちんと聞いている人なんていませんよね。耳に入った言葉のうち、重要なキーワードだけを聞き取って、後の部分は“別のところ”から入ってきた情報を元に、頭の中で補完しています。
では、別のところとはどこでしょうか?
それは”視覚”です。人間は、情報の8割を視覚から得ていると言われています。
物語を伝えるものが“行為”であるのなら、その“行為”を観客は“視覚”から受け取るのです。
ということは、演劇においてもっとも重要なのはセリフではなく、俳優の肉体がどういう状態にあるか、です。もっとザックリした言い方をすると、パッと見、何をやっているように見えるか、です。
ですから演出者は、俳優のセリフにばかり集中してはいけません。俳優の肉体に集中しましょう。
“感情の浄化を達成する”
「詩学」ではカタルシスという言葉が使われますが、僕は“何らかの影響を与える”もの、と読み替えています。
先に述べたように、物語とは観客に伝わって初めて成立するものです。その”伝わった”=”影響を与えた”だと考えています。
そしてこの言葉には、観客に満足を与える、ということも含まれています。
初め・中・終り
さて、物語というものがどういうものか、見えてきたでしょうか?
もう一つ、アリストテレスの言葉を借りましょう。
アリストテレス曰く、物語とは「初めあり、中あり、終りありのものをいう」そうです。そして初めとはその前に何もないもの、終りとはその後に何もないもの、そして中とは何かの後に来て、他の何かが後にあるもの、とも言っています。
バカバカしいですか?
でもこれは、古代ギリシアの時代から変わらない物語の本質なんです。
よく起承転結という言葉が使われますが、この言葉をアリストテレスの言葉に当てはめるなら、
初め → 起
中 → 承転
終り → 結
となります。
ハリウッドでも、よくこの三部構成の脚本の作り方をすると聞きます。そしてさらにそれぞれの役割をこう規定しています。
初め → 起 → 誘因
中 → 承転 → 期待
終り → 結 → 満足
誘因とは、観客を物語の世界に引き込むこと。
期待とは、「次に何が起こるんだろう?」と観客の興味を引き続けること。
満足とは、その言葉の通り観客を満足させること。その満足には、物語の“完結”(=パッケージ化)がもちろん重要です。
なぜ脚本講座をしているのか不思議に思っていませんか?
もちろん、これは脚本を書くときにも重要です。ですが同時に、演出のポイントでもあるのです。
演出者は作品の持つ大きさを理解していなくてはなりません。そして脚本の込められた思想に基づいて全体をパッケージ化しなくてはなりません。もちろん物語を舞台上に具現化するにあたっては、人間の行為で描くことを忘れてはいけません。そして物語を伝えなくてはなりません。同時に演出者は作品の初めで観客を誘引し、中で観客を期待させ、終りで満足させなくてはならないのです。
脚本がそうなっていれば、放っておいてもそうなるわけではありません。
演出者がそれを理解して、きちんとそう作らなくては、意味がないのです。
演出者がフォーカスすべきこと
さて、ここまで物語というものについて考えてきました。
演出をする人間が、物語の中でもっともフォーカスしなくてはならない点はどこか、気がついたでしょうか?
それは脚本に込められた思想であり、観客です。
初めに、物語とは伝えて初めて完成するものだ、と言ったことを思い出してください。つまり演出とは、伝えるべきこと(思想)を伝えるべき相手(観客)に正しく伝える作業、とも言い換えられます。だからこそ、物語とはいったいなんなのか、その本質をきちんと理解しておく必要があるのです。
演出と聞くと、初めは俳優にダメだしするのが仕事、と思いがちです。もちろん、それも一つの役割ではありますが、それは演出がするべき膨大な作業の中のほんのちっぽけな一部分に過ぎません。そんなことよりも、もっと大事な仕事がいっぱいあります。
もう一度言います。演出者にとって大事なことは、キャラクターのセリフでも心情でも生き様でもありません。この物語が“何を描いているか”です。上っ面のあらすじにだまされないでください。その裏にある思想がどう展開していくか、思想のあらすじにフォーカスしてください。
そのためにもっとも重要なことが、「脚本を理解すること」です。