脚本の理解

脚本理解は、最初の仕事

上演する脚本が決まったら、演出者が真っ先にやらなくてはならないことが、その脚本の理解です。

なぜ、脚本理解が必要なんでしょうか?
稽古をしながら決めていけばいいのではないでしょうか?

残念ながら、そうはいきません。なぜなら稽古に入る前から、すでに物語の具現化は始まっているからです。

物語には伝えたい意図(=思想)があります。それを読み解くことの重要性は、先に述べた通りです。
ですが演劇は一人で作るものではなく、たくさんの人間で作るものです。俳優は俳優で、スタッフはスタッフで、それぞれの意思を持ってその物語を具現化しようとするでしょう。優れた人ほど自分なりに物語を理解し、自分なりの表現をしようとするものです。

ですが、個々人がバラバラの解釈で作品を作ろうとすれば、それは統一感のない(=パッケージ化されていない)ものになってしまうでしょう。
ですから「今回は、この物語を“こう”作る」という基盤となる思想が必要になります。それは舞台をどうするのか、俳優はだれにするのかといった、稽古以前に決めなくてはならない事柄にも当然必要です。

では脚本を理解するとはどういうことか、簡単に見ていきましょう。

物語にはテーマがある。

脚本理解を進めるにあたり、まず最初に決めなくてはならないことは「中心になるテーマ」です。
ではテーマとはいったい何か、それについては別に書いている「脚本の書き方講座」の「テーマを定める」を読んでいただこうと思います。

 脚本の書き方講座「テーマを定める」

ここでもっとも重要なことは、テーマは文章で考える、ということです。さらに言葉を付け加えるなら、テーマは抽象的な概念である、と言えるでしょう。

脚本の書き方の中では、発想に制限をかけないために“漠然と”という言葉を強調しましたが、演出をする上では当然、明確に決定しなくてはいけません。ですが、それは“事実を言う”こととは全く別です。「人を殺した人間が復讐される」というのは、物語の筋通りかもしれませんが、これは概念ではなく事実です。「正義の裁きは必ずくだされる」あるいは「暴力には暴力の報いが来る」というのであれば、それは概念です。

さらに、もっとイメージで語ることもできます。
「ものすごく険しい岩山がそびえ立っているんだけど、そこに広大な海が押し寄せてきて、頑強な岩山をついに打ち崩し、あとには穏やかな海原だけが広がっている感じ」というような具合です。

この手法のいいところは、このイメージをそのまま舞台セットや衣装など、舞台上の視覚効果にそのまま取り入れられることです。また、イメージを具体的な文章にすることで変に教訓めいてしまったり、自分が言った言葉にひきずられて芝居を具現化する際に想像力を失ってしまうことを防げます。

逆に悪いところは、よほどうまく言葉にしないと、他のスタッフや俳優に正しくイメージを伝えられないことでしょう。

初め・中・終りに分割する

中心となるテーマが見いだせたら、次は脚本を分解していきます。
物語には初め・中・終りがあることは前項で述べた通りですが、まずはシンプルにその3つに分解してみましょう。ヒントとなるのは、誘因・期待・満足のキーワードです。

特に、脚本の“初め”には、よくよく注意を払わなくてはなりません。
それは観客を引きつけるパートだから、というのもありますが、それ以上に物語をどこから“初め”るかは、脚本家の思想がもっとも込められている部分だからです。

物語とは、基本的にはある時系列をもった一連の事件です。
しかし物語は常に、時系列にそって展開するとは限りません。時系列の一番最後(言うなれば事件の結末)からスタートして、そこに至った過程をふりかえっていく、というのは、よくある物語の手法です。そして当然のことながら、どこの時点から初めてどういう順番で事件を並べていくかによって、物語の見え方は変わってきます。そこに描かれる寓意も変わります。ですから注意深く読み込まなくてはなりません。

よくある勘違いですが、起承転結の起はどこですか? と聞くと、台本の最初の1〜2ページだけを指して「ここです!」と答える人が非常に多いです。もちろん、そういう時もありますが、たいていの場合はもっと長いです。

なぜなら、初め=起の役割は誘因です。

物語の前提条件を観客に提示し、主人公を見せ、その主人公に事件が起こり、その何が問題なのかを観客に理解させ、これをいかに解決していくかがこの物語の肝ですよ、と観客に理解してもらって初めて“誘引”できます。

ですから、ある程度の時間尺が必要になるのです。

シークエンスに分割する。

物語の三部構成が理解できたら、今度はさらに細かく分割していきます。

一番シンプルな分割方法は、場所による分割です。僕はこの場所による分割を「シーン(場)」と読んでいます。このシーンとか場といった言葉は、人によって使い方が異なるので気をつけましょう。フレンチ・シーンと言われる分割方法では、場所ではなく人の出ハケによってシーンを区切ります。ですからどこで区切ってなんというかは好き好きでいいと思いますが、それがその作品に関わる人すべての共通語となっていることは重要です。

僕はこの、場所による分割はさほど重要視していません。演劇では、舞台上の場所はシームレスに転換が可能だからです。僕が重要視しているのは、観客の視点の区切れ目、または観客が見ている登場人物の一連の行動の区切れ目です。僕はその区切れ目による分割を、シークエンスと呼んでいます。なので僕の分割方法では、小さい順に並べると、セリフ → シークエンス → シーン → 作品全体となります。

一連の行動とは何かについて、倉橋健氏の定義が実に明快なので、引用させていただきたいと思います。なお倉橋氏はこれをピースという呼び方をしています。

(1) 事実の提起
(2) 第一の人物のその事実に対する反応
(3) 第二の人物の第一の人物に対する感情的反応
(4) それらによって引き起こされる新しい事実の提起

倉橋健「演出のしかた」

僕はさらにこの一連の行動に対し、“観客が見ている”という条件を付け加えたいと思います。物語は伝わって初めて完成する、とは前に述べた通りです。ですから、観客がだれを見ているかはきわめて重要です。観客が見ている人物に反応を起こさせて、初めて観客は物語の変化を感じ取ります。

観客がだれを見ているかなんて、分からないと思いますか?

いいえ、観客の視点は、演出がコントロールするのです。見せたい人物がいるなら、観客が絶対その人を見るように舞台上を“動か”してやらなくてはなりません。この動きについては項を改めることにしまして(「立ち稽古〜動き」)、今は分割の重要性を考えることにしましょう。

中心となるテーマが理解できても、それは物語の最後に「これはこうです」と言えばいいというものではありません。セリフの裏に込められた寓意というものは本来、どの行にもあるもので、最初にこれが伝わって、次にこれが伝わって、その次にこれが伝わって…というように、秩序だって美しく並んでいて、そのすべてが伝わったときに最終的に観客の心の中に浮かび上がってくるもの、それがテーマです。

つまりテーマとは、明確に述べられるものではなく、言わずとも自然の観客の中に浮かび上がるものなのです。

従って、作品の各シーン、各シークエンス、各セリフの裏に込められた意味(=寓意・思想)を読み解くことは重要です。
きちんとした戯曲ならば、たった一行のセリフであっても、それはテーマを描くために絶対必要な一行なのです。なぜ必要なのか、そこに込められた意味はなんなのか、慎重に読み解きましょう。

そのために助けになるヒントとして、キャラクターに与えられた役割、というものがあります。これは 脚本の書き方講座「必要な役割とは何か?」を参照してください。

そしてもう一つ思い出してもらいたいことは、物語は“行為”によって描かれるということです。
僕が場所による分割ではなく、行動によって分割をするのはそのためです。物語全体にテーマがあるように、各シークエンス(ある人物の一連の行動)にもテーマがあります。各シークエンスにも初め・中・終りがあり、伝えるべき思想があるのです。その思想の連鎖が、全体のテーマになります。

場所による分割は、舞台セットや照明効果など、具体性が要求される部分では重要になりますが、テーマのような抽象性が重要な部分では、あまり意味を持ちません。

シークエンスの実例

シークエンスの例を、一つ挙げておきましょう。
下に掲載した台本は、僕が書いた「道化師の歌が聴こえる」という芝居の冒頭シーンです。Sと書かれているのはシーンの略称で、場所を示しています。

シークエンス1

銃声がして、観客は死んでいる女と、座っている道化の姿を見ます。その最初に提示される情景が、最初のシークエンスです。
この光景をきちんと観客に残すため、道化はすぐに歌いはじめてはいけません。そうすると、シークエンス1と2がくっついてしまいます。(逆にここで区切りたくなければ、すぐに歌い出さなくてはなりません)

シークエンス2

道化の歌から門番の長台詞が、2番目のシークエンスです。

門番の台詞は道化に直接投げかけたものではなく、情景描写です。したがって道化と門番の空間は分離されていると考えるべきですが、しかし門番は明らかに道化の心情に引きずられながらそこにいます。
道化の歌の意味は、この時点で観客には分からないわけですから、観客は道化の歌の空気感に飲み込まれつつも、どこか傍観者です。したがって、歌っている道化の姿をじっと見つめている門番と同じ視点です。

ですから道化の歌と門番の台詞の間は観客は変化しない、つまり一つのシークエンスにまとまっていると考えます。

ちなみに僕はここで、次のような演出(観客の視線のコントロール)を行っています。
観客は最初、歌っている道化の姿に注目しています。その最中に、門番は目立たないところから観客の視界の中に入って(=フェードイン)してきます。歌は次第にハミングに変わり、同時に門番に当たる明かりが明るくなっていきます。そうすることで、観客の視線は自然に道化から門番に移っていきます。

観客の視線が別の人物に移る時はシークエンスが変わることが多いですが、ここでは上記の理由で同じシークエンスにまとまっています。したがって、観客の視線はパッと移ってはいけません。急激な視点の変化は、観客の中で何かが切り替わるからです。ですから観客の視線はゆっくりと門番にフェードチェンジしなくてはいけません。

シークエンス3

S2の冒頭から、門番が道化を制止するまでです。

場所が変わったから、というより、門番が道化に具体的なアクション(=行動)を起こしたことで、次のシークエンスが始まります。
ここで門番は、道化の回答に何かを期待しているわけではありません。どんな返事が返ってくるか、門番は最初から分かっています。分かりきっているけれど、

それでも聞かざるをえないが故に聞いた質問 →
当然のように返ってくるその答え →
それを聞いていられなくなってそれを制止するという新たな行動

それが門番の一連の行動です。

シークエンス4

門番  明日は、姉ちゃんの誕生日だもんな。
道化  ああ、そうさ。

この三行です。

制止され、なぜだろうと疑問に思う道化 →
しかし同時にわき起こる、雷雲のような不安 →
それをかき消すようにやさしく道化の言葉を肯定する門番 →
ほっとする道化 →
その関係性を受け入れる間

これが一連の行動です。

シークエンス5

S2の終りまで、正確に言うと場所が裁判所に変わりきるまでです。

関係性を受け入れた二人は、その決意表明をおこなっています。その決意は、道化が解放に向かっていくのに対して、門番は重い鎖を次々と背負っていきます。
それが一連の行動です。

木槌の音が鳴ったところで、本来であれば場所は裁判所(=現実)に変わっていると考えるべきですが、門番の心情はまだ現実に戻りきっていません。門番が「ここは裁判所である」ということをしっかりと認識して初めて場面転換が完了するのであり、門番の一連の心情に区切れ目がきて初めて門番の行動は完結します。

分析をどう具現化するか

脚本を分解し、その裏にある意味を分析したら、それをどう具現化していくかを考えます。
どんな俳優で?劇場のサイズは?舞台セットはどんな風に?衣装はどうしよう?音楽は?照明は?…山のように考えることはあります。

例えば、先にあげた「道化師の歌が聴こえる」では、裁判所が出てきます。

裁判所のセットは具体的なものの方がいいのでしょうか?
それともこの作品における裁判所が現している別のものを表現した方がいいのでしょうか?
何を具体的に見せて、何を抽象化すればいいのでしょうか?

すべては中心となるテーマを“自分なりに”正しく表現できるよう、選択していかなくてはなりません。あなたの考える思想でパッケージ化されていなくてはなりません。

これが、演出の最大の仕事です。

読み取った思想を、どう表現し、どう伝えるか。すべてはあなたのセンスにかかっています。
その演出プランがきちんとできれば、演出の仕事の8割は終わったも同然です。あとは、それを形にするだけです。

それが難しい?

いいえ、観客に伝えるべきものを、どう表現すれば伝わるのか、その選択がもっとも難しいのです。

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