配役をする。

キャラクターの根底にあるもの

登場人物にどんな俳優をあてるかというのは、物語を具現化する上でとても重要なポイントです。
もちろん、それっぽい人を選ぶ、ということに変わりはないのですが、注目すべきポイントがいくつかあります。

もちろん分かりやすいのは、見た目のイメージです。これはあまり解説の必要がないでしょう。ただ一つだけ間違えてはいけないのは、見た目のイメージが重要視されるのは、ある役について考える場合というよりも、役の組み合わせを考える場合においてです。

それはなぜでしょうか。
配役においてもっとも重要なのは、その役の持つ思想を表現しうる肉体を持っているかどうか、だからです。

またややこしい表現になってしまいました。
これは僕が脚本を書く際に大事にしていることでもあるのですが、キャラクターはその心の奥底に何らかの不完全さを持っているべきだと思っています。
それはトラウマとか、コンプレックスとか言われることもありますが、その人が解決すべき問題、という方がいいかもしれません。表面上どう振る舞っているか、ではなく、その裏で抱えているものが何か、ということです。

なぜなら、物語の中では(そしてしばしば現実でも)表面的な会話ではなく、根底にあるその“何か”によって、人は惹かれあったり、対立したりするからです。
そしてその根底とどう向き合うか、どう対処していくか、それこそが物語のテーマを表現するために重要な“行為”なのです。

ですから、そのキャラクターの持っている“根底”を表現できる俳優でなければなりません。
この表現できる=根底を持っていることを、僕は肉体を持っているという言葉を使っています。

俳優が正しい肉体を持っているかどうかについては、たとえどんな脇役であってもおろそかにしてはいけません。
「小さな役などない」とはスタニスラフスキーの言葉ですが、脇役というのは物語で主要な役割を果たす人物に対し、何らかの影響を与えるために出てきています。影響を与えるというのは、その人物の根底を揺り動かす作業です。

確固たる根底を持っていない人間に、相手の根底を揺り動かすことなどできるでしょうか?
すべてはテーマを正しく表現するために必要な要素なのです。

そして先ほども述べたように、この肉体を持っているかどうかは、見た目のイメージよりも重要です。
ですが見た目が重要になる場面もあります。それが役の組み合わせを考える時です。たとえ正しい肉体を持っていても、やって来たばかりのひ弱な新兵の方が、歴戦の勇士よりもゴツい人間ではバランスがとれません。
その役者たちが観客の前に立った時、パッと見どういう印象を与えるかは、とても重要です。

実はこの点を考えるには、この作品を見に来る観客が、その俳優を初めて見るお客さんなのか、常連が多いのかも関わってきます。
初めて見る観客なら、パッと見の印象で判断するでしょう。
常連の場合、観客はこれまでによく見たことのある関係性を真っ先に頭に思い浮かべるでしょう。それを覆すなら「今回は違う」ということを最初にきちんと印象づける必要があります。

そしてもう一点、人の受ける印象には、見た目以外にその人の持っている雰囲気というものも重要になります。
プロレスラーのような体型でも、優しい雰囲気を常にまとっている人もいます。人は意外に、その身にまとう雰囲気、オーラのようなものを敏感に感じ取ります。両方をあわせて考えることは大事なことです。

また似たようなタイプを二人以上出すことは、実に危険なことです。
全く別のシーン、別の役割で出てくるのであれば”なんとか”なりますが、観客は実際にはそれほど真面目に舞台を見ていないものなので、似たタイプの人間が出てくると、どちらがどちらか区別がつかなくなるものです。

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