1-1. 着想を得る – 物語の始まるきっかけ

物語を書くには、いくつかの段階があります。

  1. どんなものを書くか思いつくこと
  2. それをプロットにまとめること
  3. そして執筆すること
  4. 推敲すること

この着想の章では「どんなものを書くのか考える」段階に焦点を当てて、それを少し詳しく見てみます。この講座では、この段階を以下の4つに分けてみたいと思います。

  1. こんな物語を書こう、と思いつくこと
  2. アイデアのかけらを集める
  3. 結局、自分は何を書きたいのか?
  4. 物語を一行で書き表してみる

僕はこの段階が最初の難関だと思っています。 良い一行物語ができたら、次のプロットに取り掛かるのは難しいことではありません。いや、プロットでも死ぬような思いを散々するのですが(笑)それでも、自分が書きたいものをきちんと自分で認識する、というのは、想像するよりも大変です。

そして、そこがはっきりしないまま書き始めてしまって、途中でどうにもならなくなって、挫折していく人たちを何人も見ました。

それでは、最初に物語を思いつくところから一行物語までを、順を追って見ていきましょう。一つ一つのページは長くはありません。小難しいテクニックなどもまだありませんので、ちょっとしたコラムやエッセイを読むような気分で流し見ていただければと思います。

こんな物語を書こう、と思いつくこと

ここでは、どうやって物語を“思いつくのか”という話から始めていこうと思います。物語を書いてみたいけど、何を書いたら良いのか分からない、という人は意外といるものです。

◇観察しながら生活する

脚本を書き始めるきっかけというのは、様々です。テレビや映画、舞台などを見ていて「こんなのやりたいなあ」と思うこともあるでしょうし、日常の中でのちょっとした出来事、インターネットで目にした言葉、社会で起こる出来事などもあるでしょう。“思いつく”ということに関しては、取り立ててテクニックがあるわけではありません。ですが、ひとつだけ重要なことがあります。それは、“常に観察しながら生活する”ということです。

何年も作家生活をしていると、これは一つの習性というか、無意識下で行うようになっていきます。日常の中のふとした瞬間、見聞きしたもの、感じたもの、全てを“体験”として自分の中にため込んでおき、良いものがあった時には「あ、これ使えるな」と胸にとどめておく。もちろん、メモを取ってもらっても構いません。

およそ作家というものは、24時間365日、今している(見ている・感じている)ことが“作品に使えるか否か”だけを考えて生きている生き物といってもいいでしょう。そしてその「いいな」と思ったものをかき集めて、一本の作品に仕上げるのです。

ここでは、僕が着想のきっかけにしているものをいくつかあげてみます。

テレビはネタの宝庫

テレビというのは、資料の宝庫です。今、世の中で何が起こっているか、過去、何があったのか、この先、どんな未来が予測されるのか。全部専門家がしゃべってくれます。そして近年は、それら全てをインターネット上で見直すことができます。

一つ、例を挙げましょう。僕のメモ書きの中に、こんな一文があります。「今や、体験よりも共有の方が大事」何のテレビ番組だったか忘れたのですが、歴史的建造物を前にして、それを見て何かを感じたり、歴史に思いをはせたりするのではなく、ただ自撮り写真だけを撮って満足して帰っていく人々のことを語っていました。それを見て、僕は考えるわけです。

  • おい、それでいいのか?
  • もちろん、悪いことじゃない。人の楽しみ方なんて、ひとそれぞれなのだから。
  • でも、そんな人たちに対して、自分はどういう態度で臨むべきだろうか?
  • 説教する?
  • いやいやいや、そういうことじゃない。
  • ちょっと視点を変えてみて、そういった価値観が生まれてきたことによって、現代の人々が得られたものと失ったものは何だろうか?
  • あるいはこういう人物に対して、どういう人物をぶつけたら、ドラマが生まれるだろうか?

わざわざ遠方までやってきて、世界遺産を前に自撮りして帰っていく人々に感じたこのモヤモヤを、どうすれば言語化できるか。どうすれば世の中に対して、価値あるメッセージとして問いかけることができるか。もし何かの作品の中にポンと放り込むことができたら、いつかやってみたいな、と思っているネタの一つです。

「こんなのを自分も書きたい!」

たぶん、よくあるきっかけのひとつでしょう。テレビでも映画でも小説でも舞台でも、良い作品を見た時に「こういうのやりたい!」と思ってしまうヤツです。もちろん、僕もあります。そんな作品に出会った時、僕が必ずやることがあります。それは、何がよかったのかを徹底して分析する、というものです。

それは、ある1シーンの俳優の演技が最高によかったのかもしれない。かっこいいセリフがあったのかもしれない。こういう展開だったから、こう来ると予想してたのに…「くそっ! こういう裏切り方するのか!」という構成の見事さかもしれない。“このシチュエーション”で“こういう感じになっちゃってる人”ってすごく好き、なのかもしれない。

なぜ好きだと感じたのかを分析し、自分の感じた衝撃を、できうる限り言語化する。そうすると、それは自分の作品の中に活かせる良いパーツになります。こういうパーツをたくさん持っておくことは、非常に有用です。

グッと来る言葉

僕が一番多いのが、このパターンです。本やインターネットで見た“言葉”から発想します。言葉といっても、セリフではありません。大体が人間の本質についての言葉——人間とはこういうものであり、だからこうするのだ、というような言葉です。

それが救いになるような言葉なら、どんな状態の人にこの言葉を投げかけたら最高のカタルシスになるだろうか、と考えますし、逆に負の要素を持った言葉——たとえば「人間の自然状態とは戦争状態である(カント)」のような言葉——なら、それに対してどう抗うべきか、どういう救いをもたらせば社会に対してより良いメッセージになるだろうか、などを考えます。

これは、僕が作品作りの基盤として、主人公にどんな“人間の本質”に向き合わせ、それを乗り越えていかせるか、を一番重要視しているからだと思います。

舞台上のイメージ

これはものすごく抽象的です。このサイトでも公開している「怪物」という作品を書いた時は、とにかく満開の桜の花のイメージが最初にありました。その花びらが舞い散る中で泣いている男。

これのもともとのイメージは、坂口安吾の「桜の森の満開の下」なのですが、圧倒的な孤独感からの、満開の花、そしてすぐに散っていくはかなさ、その一瞬の幸せを抱え続けて生きていく男。そんなイメージからスタートしました。

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