たくさんのアイデアのかけらが集まってきたら、一度立ち止まって考えてみましょう。結局、自分は何を書きたいのか、ということです。頭の中の妄想に集中するのはいったんやめて、アイデアのかけらを目の前に広げてみます。
(言い忘れましたが、この時のためにアイデアは大きな紙に書いた方が一度に眺められてよいと思います。あるいは、付箋にして机に広げるのもいいでしょう。ページをめくる作業は思った以上に思考の邪魔になります)
ここでやるべき最も大事な作業は「自分の書きたいもの」から「観客(=読み手)に見せたいもの」への変換です。
「書けば、見てくれる」という勘違い
なぜ、その変換が必要なのでしょうか。それは「物語は必ず、人に見せるために存在している」からです。書きさえすれば、誰も見てくれなくてもいい、という書き手はいないでしょうが、不思議なくらいにこの視点はよく忘れられます。なぜか「書いたものを渡せば、人は見てくれる」と勘違いをしてしまうのです。これは非常に危険な考えです。
人は“見せ”なければ“見て”くれません。
言い換えると「何を見せているのかということを意識せずに書かれた物語は、観客の興味をひかない」ということです。書き手は、常に観客の興味を引くために“見せ”続けなくてはならないのです。
この“見せる”ということについて、 以前の「脚本の書き方講座」の中で書いたものがありますので、もうちょっと詳しく知りたい方はこっちも読んでみてください。これは演劇を前提にしていますが、観客=読み手に伝えるという意味では、小説などでも同じことがいえると思います。
自分は観客に何を提供できるのか
言うまでもないことですが、それが舞台であれ映像であれ、小説であれマンガであれ、作品を見てもらうには、観客はそれなりの時間やお金を使うことになります。それに対する対価として、自分の物語はどんな価値を与えてあげられるのでしょうか?
- 思い切り笑わせますか?
- 感動させますか?
- 何かを考えさせますか?
- 元気にさせたいですか?
それは書く人にとってそれぞれだと思いますが、自分の書いたものが観客に何も与えることができなかったとしたら、その作品は無価値です。
今、目の前には、自分が書きたいと思った様々な物語のかけらがあります。これらを通じて、自分が観客に与えたいものを考えてください。どんな人たちがこの作品を見て、どんなことを感じて、どのように帰って行くのか。ぜひ観客の気持ちになって考えてください。
今、みんなは何を求めてる?
少しだけ寄り道をします。どんな価値を与えるか、について考えるには、世の中が何を求めているか、を知る必要があります。これは普通の売られている商品と同じことです。ニーズがなければ、商品を作る意味がありません。
別に売れる作品を書け、ということではありません。(売れることは大事なことですが!)例えそれがたった一人だったとしても、あなたの物語を求める人がいなければ、それはただの自己満足で終わってしまいます。
では何を求めているかを知るにはどうしたら良いか?
ひとつしかありません。世界に関心を持つこと、そして観察し続けることです。
それが、あなたが書くべきこと
ちょっと言葉を変えました。何を書きたいか、だけではなく、何を書くべきか。
- 自分の書きたいものがあり
- 世の中の求めるものがあり
- 求める人に提供できる価値がある
この3つが揃う物語を、ぜひ探してみてください。どれかが欠けているうちは、まだ書くべき物語ではありません。(でも、アイデア集を作っておくことには意味があります!)
この稿の最後に、これも以前の「脚本の書き方講座」から、 脚本のテーマについて書いたページを引用しておきます。自分の書くものを定める上で、参考になると思います。